団地計画失敗の代表作とされるプルーイット・アイゴー

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~~反面教師と高度成長期の日本の団地~~

私がプルーイット・アイゴーを知ったのは、2001年9月の米国同時多発テロ事件の後だ。崩壊した世界貿易センターを設計した日系2世の建築家ミノル・ヤマサキ氏が設計したものである。

ヤマサキ氏の事を少し調べていたらプルーイット・アイゴーを知り、大変興味を持った。

プルーイット・アイゴーは、第二次世界大戦後の、米国セントルイスのスラムを取り壊し、1950年代にセントルイス市が建てた団地である。スラム街を壊して再開発したこの団地がもっとスラム化して犯罪の温床となり、入居者が激減していった。何度か改善策は講じられたようであるが、改善は見られず1972年に爆破解体された。・・・爆破である。米国の住宅計画上最大の失敗であるとか、モダニズム建築の終焉、などと酷評されている。

当初の計画では、黒人用のプルーイット、白人用のアイゴーと2つ分離するものであったが、こうした人種隔離は建設的でないと批判され一体化された。敷地は約230,000㎡、11階建ての高層住宅33棟、総戸数は2,870戸と正に大規模団地である。建設に5年間もかかった。(1956年完成)

完成から間もなくして、スラム化は始まり、後に、(事前に犯罪のきっかけを取り除く環境が重要であるとする)「環境犯罪学」に貢献した、とされている。(反面教師となった。)

荒廃していった理由として次のことが挙げられている。

・大幅な予算縮小によって、当初の計画されていた、庭園や児童遊園といった環境に貢献する、またコミュニティーの場となるスペースはことごとくカットされた。

・エレベーターはスキップ・ストップ(Skip-Stop)と呼ばれるもので、1階、4階、7階、10階にのみエレベーターがするが、その上下は階段を使うこととなる。利用しづらい。

・オープンなスペースと住居スペースの境界が明確に分離されておらず、誰でも立ち入りできてしまうつくりであった。また、死角の多い共用スペースや外廊下など、犯罪者にはもってこい、の環境であった。

・時代背景として(1950年代以降)同市では人口、企業が郊外に流出し、セントルイス自体が様々な意味で下降していった。更にベトナム戦争によるアメリカ経済全体の減退が加わる。
同様の計画がニューヨークで成功したとのことで真似て採用したそうであるが大きく括ると、、

・予算をケチりすぎた。・使い勝手やコミュニティーに配慮が足らなかった。・景気変動が重なり、 → 負のスパイラルが止まらなくなった。。。 → そして、爆破解体

顧みて、日本の団地でも様々な条件が重なって、スラム化しているとされる所もあるが、どちらかというと高齢化、空室化の方が深刻であって犯罪の温床となるところは少ない。

もちろん、犯罪の質と量において日本と米国を単純に比較できるものではない。また、民族的にというと語弊があるが、ほとんどが同人種と捉えコミュニティーが形成されている、日本(特に高度成長期の団地が供給された頃)とでは事情も異なる。

しかし、このプルーイット・アイゴーという反面教師は、日本の高度成長期の団地計画において、一役買っているのではないだろうか。

日本住宅公団の設立が、昭和30年(1955年)である、初期のものでは、エレベーターは勿論無いが、4~5階建てで、各部屋が横並びに廊下で繋がっているものもある。だが、1960年代のものは、一つの階段に、2住戸のみが接していて廊下が無いか短いもの(ニコイチ)のが中心となっている。洗濯機置き場は廊下であったものが、バルコニーへ移動し、やがて昭和40年代初期には住戸内(専有部内)に収まる。オープンスペースと住居スペースの分離が明確になされていった。

もちろん、プルーイット・アイゴーの反面教師のみが改良の契機ではなく、徐々に質を高めていこうという熱い思いと検討、研鑽が当時の関係者にあったことは想像に難くない。

NHKのテレビ番組「プロジェクトX」にて2000年5月に放映された「妻へ贈ったダイニングキッチン 勝負は一坪・住宅革命の秘密」において、ダイニングキッチンを南側に据える発想、検討と計画の過程を拝見し、深く感銘を受けた。

※この件についてはまた別で記載します。

後に日本住宅公団の副総裁となった、尚明(しょうあきら)翁らの住む人への思いやりと熱意は、私の住宅に対する考えを数段深めてくれている。

高度成長期に供給された団地は、エレベーターが無い、配管の引き回しがおかしい、など不都合である部分がピックアップされ、後からすると、社会的な評価が下がってしまうことは仕方ないが、当時、大量に住宅を供給しなければならない中にあって、しかも予算が限られる中で、様々な工夫を取り入れていった先人に私は敬意を払っている。

どのような計画が望ましい、といった詳細は別として、人が使う、そこで暮らす、ということを意識した場合と、そうでない場合に歴然とした差が生じる。どのような状況、環境においてもまずは企画する者にそのイマジネーションと、熱意がなければ長く人に支持されるものは作れないと思う。
石川修詞

 

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